開光について







開光(開眼)法要-「天珠に魂が入ります!」

開光することによって、天珠が仏や霊が宿ることになり、拝む対象になります。昔の人は開光した天珠を持つといつも仏様と御一緒だと文献が有りますが現在の意味はすべての災難から守られ希望がかなうと信じられています、すなわち天珠の開光法要にて今まで眠っていた天珠が開眼される(起こされる)と本来の仏力が発揮され貴方のみかたになり願い事をかなえるだと言われています。


大召寺について



私が出品しているチベット天珠などの商品は、すべてフフホト市“大召寺”のラマーさんに開光されました。
“大召寺”はフフホト市大召寺蒙古地区で最も著名な寺院のひとつ。ダライラマ3世は自ら、大召の銀仏のために開眼式を主宰しました。
大召は呼和浩特市の旧城の南部に位置し、1580年、フフホト初の寺院として建設された。記録によると、トゥメット部のアルタン・ハン(阿拉坦汗)は美岱召を建設した後、明朝の支持下で、1579年(万暦7年)、市街地と寺院を正式に建設にすることを決定した。新たに作った都市は市街地と寺が別れ、寺院は2年目に落成し、市街地はその1年後に落成した。明朝の皇帝は寺を「弘慈寺」と名づけ(のちの大召)、市街地は帰化城と名付けた(のちの旧城フフホト)。
  大召完成後、寺院内には銀の釈迦牟尼像が祭られたため、その当時から銀仏寺と呼ばれるようになった。1586年(万暦14年)、ダライラマ3世はトゥメット部の盛大な歓迎式中、オルドスからフフホトに入り、弘慈寺の銀の仏陀の開眼の儀式を主催した。その後、大召は当時の漠南地区ので最も有名な寺院、そして、フフホト最大の寺院となり、歴史上大きな影響を持つようになった。
  1627年(明熹宗天啓7年)、史籍にはリンダン・ハン(林丹汗)が“帰化城を攻略し、銀仏寺を奪いとった”と記載されているように、大召は都市と並べて記されており、そこからも、大召の漠南での影響の大きさがよくわかる。清朝の太宗ホンタイジは軍隊を率いてフフホトまでリンダン・ハンを追撃し、部下に市街地に放火するように命令したが、“銀仏寺などの廟だけは残し、壊してはいけない”と言った。これもまた大召の名声の高さを示している。
  ホンタイジはまたトゥメットに大召を修築するように命じ、修築後は「弘慈寺」から「無量寺」と名を改めた。これが今日の大召の漢名「無量寺」の起源である。 寺院内には、山門、過殿、経堂、九間楼、仏殿などが現存し、その内経堂と仏道は繋がっており、大殿と呼ばれて、仏殿内には彫像と壁画がある。銀の仏像は400年時を経て青色に変化しているが、今なお完全に保存されている。


開光天珠の取り扱い注意点

・他人の手に触らせたりしないでください。(パワーが落ちます)
・水(炊事時、洗濯時、お風呂、海、プールなど含)から避けてください。
・就寝前に外してください。(就寝中は身に付けないでください。)

開光天珠のケア

・天然塩などに埋める。岩塩が好ましい。
・天珠を数十秒間、きれいな流水にさらす。
・線香やお香の煙数回くぐらせる。
・水晶などのクラスター(原石)の上に乗せておく。




No.113.001.003